凝り固まった選民思想と優劣差別

 書き始めたら止まらなくなりそうなので、メモ書き程度に収めておく

 

 人には優劣がつく

 例えばテストの点数だとか、成績の良さだとか。話の上手さ、顔の良さ、頭の良さ。探せば探すだけ人を測る物差しというものは存在し、そしてその定規によって他と自は比べることが可能になる

 これは誰もが意識的に、または無意識に行っている行為の一つで、例えば「〇〇さんは××さんより可愛い」というようなごくごく当たり前の、多少は不謹慎ともとれるものの誰も気にしない程度の事象として存在する

 

 人と比べるということの善悪は一概に判別できない

 自分と誰かを比べて足りない点を探し精進するのであればそれは善だろう

 誰かと誰かを比べ、アイツには出来るのにお前はどうして出来ないんだと人を詰るのは悪だろう

 用法用量というものがある。ただ、対比は一概に悪ではない。悪ではないのだ。

 

 さてここに、一つの物事がある

 それは何でもいい。仕事でもゲームでも何でもいい。ただ一つだけ付け加えるのであれば、それはチームで行うものだ。仲間と呼べるものが存在し、皆で協力して取り組むのが前提の物事である

 これを行う。誰かと一緒に。自分ではない誰かと。何を考えているか分からないが、しかし共にその物事に取り組み、達成することを目標とする仲間と一緒に行うのだ

 

 本題に入る

 僕は「使えない仲間」が嫌いである

 

 強い言葉を使うが、嫌いである。大嫌いだ

 きっとこれは僕がこの先生きていく上で克服しなければならない列記とした『差別』であり、そして同時にもう治ることのない悪癖でも、付き合っていかなければならない持病とも呼べるかもしれない

 

 僕は大体の物事を人より上手く出来る自信がある

 勿論上には上がいる。自分が一番優れているだなんて思わないし、むしろ僕のスタート地点は大体の人より下だ。長い時間とそれなりの思考を費やすことで、僕は平均より上の位地を維持することが出来る生き物だと思ってる

 

 そして僕は思うのだ

 なんで僕程度に出来ることをこいつ等出来ないんだ

 なんで僕ごときが分かることをお前らは分からないんだ

 脳みそついてんのか。腕あんのか。ちゃんと対価分の働きをしてんのか、と

 

 傲慢な誹謗中傷だと自分でも思う

 だが、実際のところそうだろう。ゲームは強い奴が正義だし、大学では賢い奴が正義だし、社会に出れば稼げる奴が正義だ。そして正義は何をしていようと結果を出している者であり、僕はそれらこそが最も尊重されるべき存在だと思っている

 並々ならぬ努力が要る。そしてそのために何かを踏みつけることもある。だが、数字を出していれば多少の横暴は看過されてもいいと思っている。むしろ何かの犠牲なしに高いパフォーマンスを叩き出す生き物は少ない。まぁ実際のところ高い位地にいる人は人格者というか、その物事に熱中しているせいで他に悪影響を出さない人が結構多かったりもするのだが、しかしそのために犠牲を被る人というのは少なからずいる

 

 要は、結果を出す人が正義だということ

 そして他の能無しは口を塞いで精進しろという話

 

 これまで何人も何人も、足を引っ張る無能を見た

 バイト先、研究室、ゲーム、社会に出た数ヵ月。若造の僕が積んだ人生経験とはこの程度だ

 しかしその中には必ず『弱者の立場で不平不満を平気で口にする人間』が存在した

 そしてその全員が僕より年上、というか大人だ。二〇も超えた人間が平気な顔で『あいつは俺より給料もらってるのが許せない』などと宣うのだ。例え冗談でも言って良いことと悪いことがあり、明らかに本心の吐露であるその言葉は冗談にしてはタチが悪い

 

 子供ならばいいと思う

 子の無能は親の責任だと僕は思ってるし、二〇を超えていない人間に何も求めない。むしろ好き勝手暴れまわって色々学んでほしいとすら思う

 ただ、大人は許さない。そして弱者の傲慢を振りかざす輩も許せない

 結果を出さない人間が一人前に囀るなという話。誰かの邪魔になることを平気で行うその精神性に吐き気がする。物事を浅く捉えることしかできないその思考能力に疑問を抱く

 

 弱者は黙って黙々と努力していてほしい

 別に思うだけなら止めない。誰だって不平不満はあるだろうし、愚痴も吐きたくなるだろう。だがその程度の物事は親しい人相手に吐き出したり、健康的な汗でも流して破産するなり、チラシの裏に書いて丸めて捨てれば良いと思っている

 

 優秀な人間が努力している横で、弱者が平気な顔をして怠惰を貪るのを辞めてほしい

 それが出来ないなら黙ってどこかへ行け

 僕は常々そう思っている

 

 何やら言いたいことがとっちらかったが、まぁ、こういう過激な人間もいるという話

 

 そして僕は、僕のこの思想が世間一般的には正しくないことを、何となく分かり始めてきた

 本当に。荒んでいる。ラブアンドピースで優劣など考えず、皆で力を合わせて笑顔で楽しく物事に取り組む方が絶対に合理的だし、世の中だいたいそうやって回っているんだろうな、と僕は考えている

 日常系アニメとか見てくれ。誰も優劣なんて考えてないし、そんなこと一つも思ってないだろ。学歴だけで全ては決まらないし、知識がなくとも人の良さは他にも沢山あるし、努力努力と暑苦しい意識高い系みたいなことを言うキャラはほとんどいない

 

 僕の思考は異端思想である。そして誰も幸せにならん。マジで

 だが、この差別的な思考が僕はやめられない。何度かやめようと思ったこともあるが、ふと他人の欠点を見てしまうと、昏い気持ちが胸を刺す

 勿論面と向かって言ったりはしない。ただ、接し方が変わる。明らかに。最近冷たくなったよねとか、目つきが悪いとかを言われたりする。人を見下す態度になっているのだと思う

 

 人間としての欠点だと思う

 人を見下すのは別に人の自由だと思うが、しかしそれを表に出してコミュニティ内の不和を生むのは本当に問題児。火のない所に煙を立てているに等しい

 

 僕は僕なりにかなり気を使って人と接しているし、出来る限り表に出さないようにしている。見切りをつけた人間に対しても作業上で何か意図的に邪魔したりなどしたことがない。ただ、反応が変わっているというのはその通りで、どこかを起点に僕は他人に「もう関わりたくない」とシャッターを下ろしているし、今までもそしてこれからも、双方にとってシャッターを下ろすのが最善だと判断すればそうするのだと思う

 

 ただ、本当にこれで良いのかと最近思う

 

 もちろんそれなりに楽しくは過ごせているし、上手くやれている気はする

 しかし、シャッターを下ろしたせいで消えたものも多い。お別れはブロックでというやつだ。中高、大学の全学時代の友達はほとんど切ったし、ゲームの友達もだいたい切った。それでも残っているものを僕は大切な友人関係だと思っているけれど、しかし切らずに続けていればまた新しい未来があったのではないかと想起することもある

 

 この人との関わり方は合っているのかどうか

 それはそれとして、やっぱり僕の過激な選民思想はちょっと人間として頭おかしいのではないか

 などということを最近見たアニメを通して思ったため、メモにしました

 正直今年の春にうだうだ悩んでいたことの根本理由でもある。解決策はまだ出ない

 このままでもそんなに問題ないんじゃないかと僕自身がどっかで思ってるんだろうな。でも明らかに治した方が楽に生きていける気はするので、しばらくはこれが僕の命題になりそうな感じはする

 

 

 

 余談として、院の初顔合わせが終わった。クソ野郎も仲いい友達も皆いた。まぁあれから半年しか経ってねえから当たり前なんですけど

 冬に念願のマグロ漁船のバイトを入れた。貧相な僕が行っても多分死ぬだけなので、少し鍛えようと思う。取り合えず毎日腹筋とランニングをやってみる

 学生の時に出した論文で特許が取れそうなので申請する。誰か使ってくれねえかな。特許の使用料だけで生きていきたい。無理か

 

 九月はこんなところ

 十月に入った。今年ももう終わりだ