身体が痛くてたまらなかったのが、野菜を食べたら治ったという話

 アホみたいな本当の話

 

 僕は結構不摂生というか、食事をそもそも抜くことが多い

 具体的に言うと一日一食、酷い時は三日に一食二食で済ませることもあるぐらいだ。水とタバコは一日中口にしているのだが、それは食事じゃないだろう

 

 そんな食生活をしていたせいか、身体がなまりになまったせいか、デスクワークばかりしていたせいかは知らないが、身体が痛くてたまらなくなった

 この表現は若干不適当かも。正確には『ふくらはぎが痛い』『二の腕が痛い』『マッサージしてもストレッチしても痛い』『がちがちに強張っているような、でも触ってみると全くの普通で、筋肉というか繊維というか、それらが痛みを訴えているような状態』『特に酷使しているわけでもないし、寝違えたとかでもない』というような状態だった

 

 原因が分からなくて、結構焦った

 去年までは筋トレしていたし、それなりに筋肉もあったのだ。働いていた時は普通に外歩き回っていたし。ただ、ここ数週間マジで痛かった。筋肉痛の弱い奴がずっと続いてるような感覚に悩まされていたと言ってもいい

 色々と調べて、youtubeでマッサージとかの動画見て、ストレッチして、寝方改善して、と。色々やってみたが全く効果のないまま一週間ほどが経った

 

 そんな原因不明の痛みだったのだが、なんとキャベツの千切りを食べたら治った

 マジで

 

 どうにも野菜を全く食べていなかったのが原因だったらしい

 記憶を遡れば確かにここ数ヶ月、野菜というか、食物繊維は食べていなかったように思う。人参とタマネギと、卵とネギ、それから納豆。この5種類以外に栄養になりそうなものを僕は購入していない

 僕はずっと自炊しているのだが、自炊しているが故にこのような事態に陥ったのだと思う。外食してた頃ならもうちょっとバリエーション豊かなもの食べてた気がする。思い返せば僕、パスタとカレーしか今年に入ってから食べてないわ

 中々トチ狂った食生活をしていたせいで、栄養が偏りに偏ったのだと思う。いやホント、キャベツの千切り食った次の日の朝の快適さと言ったらなかった。カレーは栄養の塊だと思ってたから油断してた。人参とタマネギと肉しか入ってないスープが栄養あるはずがなかったのだ

 

 とりあえず、今後はキャベツの千切りも食べようと思う

 というかキャベツおいしいね。食べやすいし、味するし、栄養取れるしで結構好きかもしれん

あけましてほにゃららら

 というわけで、新年恒例のブログを書く習慣とやらを消化していく

 なんだかんだで4年連続で守っている。一年の内たった数十分するものを習慣と呼ぶのはいささか抵抗があるものの、まぁ継続はえらいことなので良いでしょう。ぼくえらい

 

 去年の反省からしていこう

 去年一年で思い知ったこと、それは労働はクソだということだ

 まーじーでーくそ。会社勤めは地獄である。毎日身だしなみを整えて、何十分もかけて職場に赴き、誰かの下につき、誰かと興味の全くない話をし、何一つ楽しくない仕事を十時間もやるなんてことは僕には不可能なのだと思い知らされた

 労働から逃げるための労働をしなければならない。これは僕の人生における重大ルールみたいなものである

 

 次に人間関係

 あまり反省はないが、改善はあるかなぁって感じ

 僕は身の回りにあまりにも善人が多すぎる。今まで本当に恵まれてきたのだなぁと思う

 つまり何が言いたいかというと、世の中の大多数の人間は善人ではないのだ。頭がイカれたゴミのカスみたいな精神の奴らがうじゃうじゃいる。本当に。今まで僕が「こいつなんかやべえな、近寄らんとこ……」とか思ってた人達の何倍ものヤバさを有する人間が、世の中には溢れかえっているのだ

 その辺の感覚の齟齬を去年は体感した。大学という学び舎、そこで出会った人達。それらはぬるま湯だったのだ。そんなところからいきなり寒風吹き荒ぶ大海原にダイブしたもんだから寒暖差で精神がイカれかけた。世の中マジでクソ

 パワハラは平気でするし口を開けば女とギャンブルと愚痴しか吐かないし仕事はできないし声だけでけぇし話は要領得ねえし。そんなモンスターが五万といるのだ

 しかし、それが当たり前なのである

 僕は間違っても彼らを僕と同じ人間だとは思わないが、しかし自分が狭いコミュニティでぬくぬく過ごしてきたということには目を向けなければならない。率直に言えば、もうちょっと対人関係におけるストレスの処理だったり、どーでもいい相手をどーでもいいと思いながらやり過ごす術のようなものを身に着ける必要があると思った

 ある程度想定はしてたんだけど、甘かったといわざるを得ない

 コミュ力を強化する必要がある程度あると思う

 

 あとは進路

 とりあえず在宅の仕事をやりながら、昔バイトさせてもらったものに手を付けることで生き永らえている

 と同時に、色々やりたかったことに手を出している

 成功したり、ちゃんと形にしたら、詳しいことを書きたいとは思う。今はまだ何者にもなれていないぺーぺーの無職なので書かないが、ちゃんとした"夢"のようなものが出来た。それを叶えるために色々とやっている

 おかしな話だ。あれだけ義務教育で「目標を持て」「夢を持て」と言われ続けていた時には何一つそんなものを持ったことがなかったのに、大学を出て会社を辞めてから夢が出来るだなんて

 遅すぎるにも程があるが、物事を始めるのに遅いなんてことはない。会社に勤めなくていいという幸せを噛みしめながら好きなことをやれている今は、割と人生で最高レベルに充実していると思ってる

 

 こんなところか

 波乱の一年だったとはいえ、割と達観してる気がする。人間行くところまで行くと視線が変わるんだなって感じだ。一ヶ月前に泣きながら辞表を出したことがもう遠い過去のように感じている。むしろ一昨年あたりの人間関係の痴態の方が未だに記憶に残っているぐらいである

 就職と退職というイベントは、他人から見ればデカいことなのかもしれないが、少なくとも今の僕にとっては仕方のなかったことのように思えている。アレは僕の過失だとか、僕の選択の結果だとかではない。僕の人生における強制敗北イベントみたいなものだ。いつかああいう経験をする日があって、それがたまたま今年だっただけという認識だ

 まぁそう思いたいという欲望もあるのかもしれないが、少なくとも開き直り切れるだけの頑張りを僕はしていたし、嘘偽りなく辞めるその瞬間までは優秀な新入社員であったと自負している。会社に入ってすぐ辞めた。一文で済む内容でしかないのだ

 

 

 

 そして今年の目標としてだが、既にもう色々と具体的な目標や目途はついているし、上でも色々と反省を踏まえた今後の改善についても書いたので、ちょっと今年はぼかす

 あまり公共の記録物に残したい類の目標ではないのだ。上の方で夢夢書いたけど、夢を語るだけなら簡単で誰にだってできる幼稚なことでしかない。有体に言ってしまえば、この年齢にもなって「今年の目標は夢を叶えることです!」なんて宣いたくないのだ。恥ずかしいから

 何かしらの形にしてから、色々と書いていきたいと思う

 

 それともう一つ

 今年は「誰にも求められていない感想や批評を、公の場で口にしない」を徹底したい

 これは僕の性格の悪い部分だ。他人や物の粗探しをする癖がある

 誰かに聞かれたら答えよう。それまでは、絶対に表にそういったことを漏らさないようにする。SNSでも、人と話している時でもだ

 誰かを喜ばせる言葉だけを使っていこう。僕も喜べる言葉を使おう。アレがダメだった、コレが良くない、ここをこうしていればよかった。そういった物言いを、今年は絶対に辞めることにする

 今までもコレは意識していたのだが、このせいで失った人との縁や、このせいで負った余計な期待、このせいで取られた時間が、結構バカにならないと思い始めてきた。その分僕は人より反省が早く、モノづくりや仕事において完成までの道のりが早かったので「長所でもあり短所でもある」程度の認識だったのだが、これからは一人で物を作り一人でそれを売る人間としてやっていく関係上、自己完結で留めるべきだ。他人に関わる余裕なんてものはないし、そうなってしまえばこの性格は「他所の粗探しをしているだけ」の悪い性格でしかない。

 直そう。まずは形からだ。口に出したり、文字に書いたりするのを辞めれば、性格は変わるものだと僕は信じている。改善しよう

 

 

 

 

 

 こんなとこかな

 とりあえずクソ眠い。年末も作業作業作業だった。金がないってマジで素晴らしく不幸なことだな?

 クソヤバい状況からは抜け出せたものの、割と家計は火の車である。もう二ヶ月ほどはしっかり仕事してお金稼がないとダメだ

 でもまぁ正月である。一日ぐらいしっかり休んで、それから頑張っていきたい

生きなおそうと思う

 こんばんは

 今日は少し、大事なことを書こうと思う

 多分、ここ数年で一番、僕にとって大切な話になる

 

 沢山書きたいことがある。誰にも言ってないことが山ほどある

 ただ、僕は少し書きすぎてしまったり、喋りすぎてしまうことが多い

 そして、それはダメなことだと思ってる。言葉は選ぶものだ。重ねるのではなく、率直な一言であるべきだと思う。

 だから、明瞭な事実と、簡潔な説明を心がけて、記事を書こうと思う

 

 

 

 僕は今、かなり追い詰められていると思う

 理由は単純だ。会社を辞めた。完全に退職し、日本に戻ってきている

 今はインターネットカフェでこれを打ち込んでいる。明日には住むところから探さなければならない。借りていた家はもうないから

 

 ちなみに辞めた理由は単純だ

 海外が合わなかったのと、全てが嫌になったからだ

 色々ある。それこそ辞めるに至った理由なんてものは山ほどあるし、考えたことも山ほどある

 ただ、僕には無理だった。海外赴任が、という話ではない。毎日毎日、誰かと同じ時間に同じ場所へと毎日出社し、日中何時間もつまらない作業を続け、日が暮れ夜がふけてからフラフラになって家に帰り、明日のために寝る。これを五日間繰り返し、二日間の休日を得る。この毎日――もっと言えば「社会人生活」というものが、あまりにも肌に合わないということを、理解した

 海外赴任でガタがきた。海外に飛ばされていなくとも、きっと半年もすればガタがきていただろう。それくらいには、僕は限界だった

 

 誰かに分かってほしいとは思わない。これは僕の欠陥だ

 死ぬまで治ることのない、僕という人間の負の個性なのだろう

 ネガティブに書いてはいるが、正直言ってあまり堪えてはいない。元々その兆候は嫌というほどあったのだ。それでも頑張って大学に行き、院に行き、就職活動をして、入ることのできた大企業だったから、何とかなると思っていた。正しい生活を送ればいつかは慣れると、そう思ってきた

 現実は違った。それだけの話だ

 

 そしてもう一つ、こちらが結構大変な話

 貯金が底を突きかけているのだ。具体的には来年頭に餓死する

 

 僕は言ってはなんだが結構お金持ちの家に生まれ、また幸運にも学生時代にそれなりに稼いでいた人間であり、お金に困ったことがなかった。大学三年生ぐらいからは学費から生活費まで全て自分で払っていたから仕送りも断っていたし、困ったことがあれば面倒を見てもらえるぐらいには家族にも余裕がある。そんな生まれをしている

 

 ただ、それら二つで稼いでいたお金がここ一年ですべて消えた

 理由は単純。会社を辞めたことで実家と絶縁状態となったのと、持っていたお金を全て友人にあげてしまったからだ

 

 後者はまぁ僕の趣味というか、なんというか、自業自得なのだが

 というわけで、ギリギリ1,000万円ほどの残高をずっと推移させていた僕の口座には、今ほとんどお金が残っていない

 唯一あるのはここ二ヶ月、僕が働いて貰った給料だけだ

 新卒一年目の初任給+α程度しかないので、結構ピンチという話である

 

 そして初めて思い知ったのだが、金がないというのは素晴らしく不幸だ

 端的に言えばストレスだ。精神的な余裕がない。命が追い詰められている感覚がある

 まぁ会社を辞めた僕が全て悪いのだが、しかしここまで堪えるものだとは思っていなかった。凄い

 

 そしてもう一つ付け足すのだが、実家には命乞いをする気がない

 当たり前だ。既に二度裏切ってしまった身であり、これ以上どんな顔をして話せばいいか分からない間柄だ

 恥知らずにも頭を下げる、というのもまた一つの道だろうが、それをした瞬間僕という人間は終わるだろう。その実感がある。まぁ流石にちょっと情けなさすぎるのでね

 

 と、いうわけで

 金のない無職になってしまい、結構追い詰められているという話だ。ふふ

 

 いやぁ、流石にここまで酷い生き物になるとは思ってなかったな

 でもまぁ夏に就職しなかったら似たような生き物になっていたことを考えると、やっぱり僕はこうなる運命にあったのだろう

 

 とりあえず、今何を考えているかというと、市役所に頼み込んで延命するかどうか悩んでいるという感じだ

 生活保護、は実家に連絡が行くため最終手段になるし、流石にちょっと受け取れるような人間ではないと思っているので遠慮するが、それを抜きにしても色々とお金を借り受けたりする手段はあるらしい

 僕は今、家がないどころかケータイもネット回線もない状態であり、長年ずっとやってきたコーディングのお仕事用のPCとかも全部売り払った、マジのマジで詰み掛けている状態である

 友達にお金をせびるのも考えたが、とりあえず市役所にお金を借りて、二ヶ月で稼ぎなおして返そうかな、と考えている

 

 自分で書いてみて思うけど、凄いな

 まさかこういう困窮者用の最終手段みたいなものを、まさか自分が使うことになるとは思っていなかったため、乾いた笑いが浮かんでくる

 

 でもまぁ、仕方ない

 本当に。仕事を辞めると決意して、凄く気が楽になった

 辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。精神がどうにかなりそうだった

 漫画もゲームも出来やしない。つまらないつまらない毎日。世に生きる大勢がこんな、こんな生活をずっと続けているだなんて知ってしまって、僕は本当に頭の下がる思いをした

 

 だが、僕には雇われ生活は無理だ。絶対に。神に誓って不可能だ

 フリーランスで生きていくしかない。外注業務で生きていくしかない。リモートワークで生きていくしかない。辛い道なのは分かってる。それでも、それしかないんだ。今までずっと趣味でしかなかったそれらで、僕は食べていかなければならない。そういう生き物なのだと、この二ヶ月で僕はようやく理解した

 

 というかこれくらいが僕にとっては丁度いい

 今までの生活は甘かった。余裕がありすぎたんだ

 お金という保険があった。実家という保証があった。若さという武器があった。学生という建前があった

 今はない。全て消えた。どこからどう見たって追い詰められている

 でも、凄く楽な気分だ。全て一からではないが、でも、ここからスタートしていくのだという感覚がある。ようやく、生きているのだという実感がある。

 

 いつ死んだっていいんだ

 なら、最後の最後、追い詰められた今この時に何をしたって、大丈夫だ

 好きなことをやろう。後先考えずに、いっぱいやろう。書きたかったライトノベル、作りたかったゲーム、読んでみたかった本、やりたかった翻訳活動。いっぱい、いっぱい残ってる

 

 好きなことで生きていくのは辛いと、偉い人が言っていた

 大学を出て新卒でいい企業に入るのが賢いのだと、あらゆる数字が言っていた

 親は毎日朝早くから夜遅くまで働いてくれていた

 だから、僕も、賢い生き方をすべきだと思っていた

 

 悪い、無理だった

 勉強はちょっと出来たけど、頭は悪かったらしいんだ

 バカみたいな生き方でいくよ。才能がなくて努力が足りなかったら速攻死ぬような生活だけど、今、これまでにないぐらい気が楽なんだ

 

 とりあえず、お金があるうちに、保証人のいらない安いアパートを探そう

 そして住民票移して、市役所いって、頭を下げてお願いしよう

 もう朝起きることや、誰かの顔色を窺ったり、真面目なフリをすることを、頑張らなくていい

 好きなものをいっぱい作っていこう。僕の感性が死んだ時、僕も心中しよう

 それを誇りに思えるように、これから生きていこうと思う

 

 来年頭にまた、少し書く

 しばらくはお金だ。半年は金の亡者になると思う

 楽しみだ

メンタルヘラってる

 海外赴任が決まりました。

 

 お久しぶりです。今年夏、9月付けで就職しました。

 フリーターというかフリーランスというか、そんな感じの生き方がしたかったんですけどね。あまりにもブラブラしすぎていたので親戚に「コネを使ってやるからちゃんとしたところに就職しろ」と散々言われ、多分大学や会社といった枷すらなくしてしまうと産業廃棄物が誕生するだろうなという実感があったので、就職してしまいました。

 

 弱いなぁ、本当に。

 僕にフリーでやっていけるだけの能力があれば、ちゃんとクリエイターとしてやりたいことだけやって生きる生活が出来ただろうに。

 でも好きなものに生活全てを賭けるってのが危険な道なのも知ってる。万が一僕の感性が社会からズレた時、面白いものを作れない=死の危険性があるわけだから。だから創作活動なんてものは趣味に留めておいて、本業をやりつつサブで這い上がっていく方が賢いのも分かってる。ただ、賢さではなく狂気というか覚悟のようなものが、クリエイターにとって必要なのだろうなとも僕は思っており――――

 

 まぁうだうだ言っても仕方ない。もう雇われの身だ。

 

 そして雇われの身からもう一つ、海外赴任が決定しました。

 地獄だ。マジで。

 行き先はタイ。これを書いている今、海外赴任のための研修を受けている真っ最中である。頭おかC。

 9月頭からお仕事してるんだけど、そこからだいたい2週間研修で、親のコネではなく一次面接から僕はしっかり自力で上がってきていたため、時期こそ半年近く違うが院卒新卒と同じ身分で雇われているはずである。

 が、海外赴任である。まだ入って一ヶ月足らずのこの時期にだ。頭おかしいだろマジで。

 

 理由はいくつかある。

 まず僕が海外に行ける人間だからだ。英語力と資格とパスポート、そして単身海外赴任に「〇」をしてしまっていること。僕はこれら四つの海外赴任条件を満たしている。

 次に欠番。どうにもタイの支部で恐ろしい数の欠員が出たらしく、また時期が時期なので本社の人間に空きがない。とにかく日本人の正社員の頭数が欲しかったので、新入りの極みのような僕にもお鉢が回ってきたらしい。

 

 これ以上書くと身バレしそうだから口をつむぐが、猫の手を借りたいぐらい今大変らしい。

 だから会社様もかなりお給金に色を付けてくれてるし、一般的に言えば海外出向は「出世ルート」だ。役員以上に上がるには皆、海外で2~5年の経験を積んでくるのがうちの会社の王道ルート。それを鑑みれば僕は恵まれているのだろう。

 実際待遇は超絶ホワイトだ。今は海外赴任のための検査であったり、語学や向こうでの仕事内容の研修を行ってもらっているが、指導役をしてくれる人事の人はマジで腰が低い。事あるごとに「ごめんね君達、本当にごめんね。頑張ってね。お金は出すし、要望にも出来る限り答えるからね。ごめんね」って言ってくる。憎めない。

 

 が、辛い。

 住んでいたアパートにようやく戻れたので最期のインターネットを楽しんでいるのだが、涙が出てくる。だってタイだぞ。日本じゃないのだ。もう気軽に自宅には帰ってこれないし、オンラインゲームも出来ないかもしれないし、友達にも逢えない。日本語以外が飛び交う国だ。強盗や殺人の比率も高い。何より絶対忙しい。忙しいんだ。

 いや、分かってる。幸せなんだよ僕は。恵まれてるんだ。別にタイに行っても死ぬわけじゃない。やろうと思えばゲームも出来るし、ネットサーフィンも出来る。友達とも連絡できるだろう。良いところだっていっぱいある。棲めば都とも言う。何も悲観する理由がない。そうだろ? 分かってるんだ。

 

 でも、涙が止まらないんだよ。

 僕おかしいのかな。アパートに二週間ぶりぐらいに戻ってきてさ。エレベーターで自分の階層を押してさ。電車でずっとタイについて調べながら、必要な物書き出したりしてたのが、エレベーターに乗ってる最中にわって頭に浮かんできて。で、次の瞬間には涙が零れてたんだよ。

 あぁもう帰れないんだなって。来るところに来てしまったし、行ってしまうことになるんだなって。今から愛しの安心できる我が家に戻るっていうのに、明日にはまた電車に乗って本社行って、明後日には飛行機に乗る。それを想像しただけでどうしようもなくなってしまって、涙が出るんだよ。

 

 寂しさなのか? 悲しさなのか? 絶望なのか? 諦念なのか?

 分からない。この感情が何なのか、何に対して泣いているのか、僕自身にも分からない。

 

 一つ言えるのは僕が弱いということだ。

 死が決まったり、重病が見つかったわけじゃないんだ。左遷されたり、退職するわけじゃないんだ。たった数年、海外に行くだけ。それも給料は良いし、年に何度かは帰ってこれる。

 これで泣くっておかしいよなぁ。僕と一緒に行く人たちと話してても分かる。彼らは不安も抱えていたけれど、喜んでいた。見えないところで泣いていたかもしれないけれど、それでも僕より何倍もやる気があって、未来に明るい展望を抱いていた。

 

 僕だってそりゃあるさ、喜びぐらい。

 新天地がどんなものなのかなっていう期待。そんなワクワクもそりゃ、少しはある。

 でも涙が出てきた時に理解した。僕は皆と逆だ。当たり前の不安と、当たり前のワクワク、じゃあない。不安を隠すための少しのワクワクと、漠然とした巨大な不安がずっと、頭の中をぐるぐると泳いでいる。

 

 うっとおしい思考だ。僕でもそう思う。

 ただそれでも、涙が時々零れてくる。家に付いてからずっと不安定な胸中でいる。波のように訪れる、一定間隔の泣き虫タイム。不安で不安で仕方がない。今逃げだしたらどうなるのだろうという弱気な思考。今すぐ本部の人に泣いて許しを乞えばタイに行かずに済むのではないかという甘え。実は明日の朝起きたらタイ行きは失くなっていて、残念そうな顔をしながら内心喜びつつ前の職場に戻れるんだ、なんて。

 そんなあり得ない仮定の話を、もう何度、考えたんだろうか。

 

 でも、何をうだうだ言ったところで未来は変わらない。

 ここで走って逃げだすという選択肢もあるだろうが、逃げるのはタイに行ってからでも出来る。そもそも逃げたらほぼ退職だ。左遷は免れないだろう。こんな時期に就職させてくれただけでも有難いほどの大企業様なのだ。これほどホワイト待遇をしてもらっておいて裏切るような真似は出来ない。

 

 だから、やるしかないのだ。

 覚悟を決めないと。僕はやるんだ。やるしかないんだ。頑張れ。きっとできる。

 

 ただ、今日だけはちょっと泣く。

 逃げたい。でも、逃げたらダメだ。頑張らないと。

 明日からは気持ちを入れ替えて、しっかりと教わったことを反復しながら、明後日のために準備していこう。

雑な感想

 最近韓国人や中国人の人とやり取りすることが増えた。

 これはゲームの翻訳、及びシナリオのライティングというアルバイト(に似たなにか)をしく上で生まれた奇縁だ。元々ゲームが好きなのもあって交流する機会自体に恵まれたり、韓国人や中国人が日本のコミュニティに出没したり、彼らの作るゲームが僕好みのものが多いというのも大きく関係している。

 

 こうしていて思うことは翻訳の力は偉大だということ。

 もちろんある程度の手間や齟齬等はどうしても生じてしまうけれど、言語の壁をそれなりに取り払った状態で全世界の人間と意思を疎通することが出来る。素晴らしい。エクセレントと言う他ない。

 

 さて。

 ここからは僕が今までチャットである程度長い期間コミュニケーションを取った上での、彼らの人となりについての雑感である。

 と言っても母数が10人に満たないのと、皆が皆ゲーム好きのため、かなり偏った印象になる。

 

 韓国人はかなり適当な人が多い。

 人によるだろ、と思うかもしれないが、少なくとも彼らは日本人的な感性がかなり乏しい。表現し辛いのだが、例えばゲームの他言語の翻訳におけるニュアンスにあまり拘らない人が本当に多い。「韓国人には100の魅力を伝えたいけど、他の人にはそもそも伝える気がない」「コミュニティで他言語の翻訳が求められてるから取り合えずやる」といった感じ。まぁマーケティング的に言えばそれも一つの道だし正しくはある。

 内と外とをかなり分けてる印象だ。まぁ僕がめちゃんこ仲良くなれば外様が内輪になってまた違った感想を抱くのかもしれないが、彼らは本当にローコストを好む。かなり付き合いが長く、色々と漫画やゲームの話をした韓国人ですら色々とサッパリした感じの行動原理を有している。

 ちなみにネガティブな意味ではない。嫌いな人とは一緒にお仕事やらんし。お金貰えても流石に趣味でまで嫌な奴と付き合う気はないのでね。

 どことなくドライ、だけどやることはちゃんとやるって感じ。

 

 対して中国人は熱量が凄い。

 やると決めたらかなり徹底する人が滅茶苦茶多い。10人中8人は何をするにも本気って感じ。日本語の翻訳もダブルチェックは当たり前だし、こちらがシナリオを提出するとそこから色々と話を振られてよりよいものを求めようとする。

 赤の他人のコチラに対し、ちゃんと言葉数を経ることで意思を統一し、完璧な一つを作り上げようという熱意が凄い。そこはかとないパワーを感じた。

 楽しいには楽しいのだが、韓国コミュニティは割と自前で何でも済ませてこちらには最低限しか求めないのに対し、中国人はめっちゃ求めてくる。報酬の話もそれなりにするにはするものの、ちょっと時間比金効率は悪いと言える。まぁ楽しいしええか。

 

 ライトノベルの続きを書くよりも、ゲームのシナリオを書く方がモチベが上がるなと最近思う。

 そんな近況報告。

 

 

 

 

 

ガレリアの地下迷宮と魔女の旅団 感想

 

store.steampowered.com

 

 終わったので感想を書く。

 色々言いたいことはあるけれど、十分に満足できたと最初に告げておく。

 ちなみにsteamセール中ではルフランやその他のゲーム込みで10,000円である。ガレリア・ルフラン・剣の街の異邦人はかなり面白くそれぞれ単体で6,000円ぐらいのゲームのため、これがセットでこの価格はめちゃお得。オススメである。

 

 ちなみにゲームシステムについても触れるが、特に紹介はしない。前作ルフランとゲームシステムはほぼ一緒。

 一応言っておくとルフラン未プレイでも99%ぐらいは楽しめるが、ガレリアよりはルフランを先にプレイすることをオススメする。単体の面白さでも個人的にはルフラン > ガレリアだったし、ルフランで満足し切った後にガレリアを楽しむのがやっぱり最高のゲーム体験のように思う。

 

 それではやっていこう。

 

 

 

・良かったところ

 キャラクターと絵、これに尽きる。

 素晴らしい。前作ルフランに負けずとも劣らない素晴らしいキャラデザだった。特にユリィカとナチルという二人のメインキャラクターはかなり純度の高い良さを提供してくれる。

 

 魔女シリーズはストーリーにおいて結構なリョナとエロとグロが出てくる。それを全年齢版でやるのが魔女シリーズのお家芸と言っても過言ではない。

 そんな感じなので、絵が可愛くないとまぁ耐えられない。キャラクターが可愛いからこそリョナエログロが映え、可愛い絵柄で行われるリョナエログロだからこそ可哀そうなのだ。メイドインアビスしかりひぐらしのなく頃にしかりおやすみプンプンしかり。可愛い絵柄から繰り出されるリョナとエロとグロには、そこからしか得られない栄養素があるのである。 

 また、今作では魔女が沢山出てきてくれ、しかもどの魔女も良いキャラクターをしている。これはルフランにはなかった要素であり、単純に「他の魔女はどんな魔法使うんだろう」「魔女って他にどんな人がいるんだろう」といった興味を満たしてくれたと言っても良い。これは個人的に嬉しかった点でもある。

 

 また、シナリオの構成も良かった。

 今作は二部構成であり、ユリィカを主人公とした一部、ナチルを主人公とした二部が存在する。これは本当に良い演出であり、特にナチルへと視点が移った二部序盤は相当ワクワクさせられた。

 世界観が一新され、ナチルがいた世界がとても魅力的であり、新キャラクターも皆可愛いし面白い。これからどうなるんだろうという物語序盤からしか得られないワクワクがもう一度提供され、しかも先の顛末を知っているが故にどう繋がるのかが楽しみで仕方ない。また、ゲームシステムも今までのような固定ダンジョン攻略からランダムダンジョン攻略となり、少しの楽しみを得ることが出来た。

 冗長なリフレインは胃もたれの原因だとは思うが、ガレリアは全くくどさがなかった。ナチルの二部は本当に面白かったと言える。

 

 魔女シリーズは過去と未来と並行世界、これらが密接に絡み合う土壌が存在する。

 今作は過去も未来も取り扱っているように見えて、実は並行世界のみだ。プレイヤーの視点が時系列順ではないというだけで物語は一本筋。設定を上手く使いつつ面白い物語の魅せ方をしようという意気が感じられたし、実際面白い設定だと思った。

 このあたりは手放しで絶賛して良いと思う。

 

 

 

・不満点

 ここが本題である。

 前作ルフランではそのストーリーの重厚さと圧倒的面白さにぶん殴られ、僕は大絶賛するばかりだった。

 ただ、今作ガレリアには少し物申したいのだ。いや総評すれば素晴らしいゲームだったし、良いストーリーだった。でも良作である。ルフランのような神作ではないのだ。

 

 まず一つ、ゲームシステム。

 不満だった要素は主に二つ。トレジャーと銀の匙だ。主に前者である。

 

 トレジャーが酷い。今作は市民からの依頼をある程度達成しなければ先へと進めないようになっているのだが、依頼達成に必要なトレジャーアイテムが全く落ちないのだ。全くだ。

 これは比喩でも何でもない。全実績解除trueエンドまでにかかったゲームプレイ時間50時間の内、15時間は確実にトレジャーのために費やしている。依頼一個達成するためのアイテム1個を出すのに運が悪いと1時間かけるなんてこともザラ。一生PCの前でゲームコントローラーを握りダンジョンに入って歩いて出て入って歩いて出てを繰り返すだけの数時間。想像できるか? 苦行でしかないぞ? とあるダンジョンの1階層からしか出てこないトレジャーがなぜか20種類近くも存在し、しかも依頼で求められるのは中々出ないものばかりと来た。アホか。

 こういった「先へ進むための作業プレイ」としてレベル上げや装備集め、ステータス吟味や厳選等があるのはゲームの一つの醍醐味と呼べるかもしれないが、しかしトレジャーマラソンは中でも苦行でしかない。しかも強制されるのがこれまたキツイ。まぁ強制でないもの依頼も僕はやってしまったのだが、それでも強制部分だけで相当きつかった。

 せめて交換システムぐらい導入してほしい。他のトレジャー10個と求めるトレジャー1個の交換とかさ。もしくはトレジャーのレアリティを上げるためのスキルとかさ。もう少しそのやり込み要素を別の所に移してほしかったなぁと思う。

 

 次に銀の匙

 このゲーム、終盤はほぼ敵と出会いたくなくなる。理由は単純で、最終ダンジョンが3600階層のランダム生成ダンジョンだから。

 もちろん100階層ぐらいスキップする昇降機なるものが時々出現するため見た目よりかなり楽なのだが、しかし道中で敵とエンカウントしたくなさすぎる。先のトレジャー集めやストーリー攻略の上で、レベル上げは既に整いきっているのだ。なんで経験値もドロップも欲しくない時に、ワンターンキルできる雑魚と何百戦もしなきゃいけないんだって話。

 そこで銀の匙と呼ばれる「敵とのエンカウントを無くす」アイテム、ポケモンで言うところの虫よけスプレーを乱用しながら3600階層を駆け下りていきたいのだが、この銀の匙というアイテムなんと店売りしていないのである。ふざけろ。

 比較的高確率で宝箱からドロップしてくれるのだが、需要に供給が圧倒的に追いついていない。必然的に雑魚と戦闘する必要性が生じ、ダンジョン攻略が遅れテンポが遅れ、ストーリーの先が気になるのに煩わしい作業をこなさなければならなくなる。

 これも一つの楽しみなのかもしれないが、にしても3600はやりすぎである。真エンドに辿り着くにはそれ相応の労力を賭せとのことらしいが、それはトレジャーという苦行やレベル上げという苦行で既に果たしている。これくらいならボスラッシュでも作ってくれた方がまだ面白かったように感じる。

 

 この二つがゲームシステムに関する文句。

 他にも無駄に多いくせに一切使わない100近い戦闘アイテムであったり、そのせいで目的のアイテムまで毎度毎度スクロールしなければならない面倒さであったり、キャラクター生成が一生初期スキルや初期固有スキルに引っ張られ続ける前作から続投の不親切育成システムであったり、やたら使い辛く見辛いスキル設定であったり、威力の分かり辛いドナムスキルや無駄の多い結魂書システムであったり、時々クラッシュして平気で2時間分のゲーム時間を奪い去っていく不安定さであったり、キャラクターのセリフ時に立ち絵の口を動かすのをサボっていたり等々細かい不満は数あれど、この二つの要素が本当に、本当に多くの時間を無為に奪い去っていった。

 

 取り合えず次作があるならトレジャーだけは何とかしてくれ。

 こんなものよりもっと面白いやり込み要素が幾らでもあるだろ。

 

 

 

・好きだったキャラクターやシナリオについて

 とはいえ、総評してよかったのは事実である。

 中でもキャラクターの良さについて、少し語っていく。

 

 

・ユリィカ

 今作のメインヒロイン。

 善性の人間。他人に優しく、笑顔が可愛くて、よく笑い、そして頭が弱い。

 

 「わたしバカだから、よく分かんないや……えへへ……」というのがユリィカというキャラクターを一言で表すに相応しいセリフであり、同時に彼女のどうしようもなさと愛らしさを表現している。

 

 まず最初に言っておくと、魔女シリーズは割と世界観が酷い。

 男が上。貴族が上。自分勝手な奴が上。女性は大体暴言吐かれるし、暴力に晒されるし、犯されるし、殺される。そんなのが至極当たり前な世界観なのがルフラン・ガレリアに共通する世界観である。今作はルフランより若干マイルドに描写されているが、しかし重いことに変わりはない。

 

 中でもユリィカは弱者の典型だ。

 彼女は頭が弱い。賢くないから出来ないことが沢山ある。だから人の顔色を窺って生きているし、他人の求めを断らない性格だから簡単に体を許してセックスに及び、盗まれても奪われても文句を言わず、挙句にお願いされれば犯罪者にも手を貸してしまう。救いようのない弱者である。

 幼少期の体験こそが人格を形成する、というのはその通りだ。彼女は音楽の才能がなかったが故に作曲家である父に厳しく当たられ続け、笑顔が可愛いと母に言われていたからそれでも笑った。笑って、相手の言うことを聞き、謝り、何かを差し出せばやり過ごせると彼女は学んでしまっており、それが彼女を弱者たらしめていた。

 彼女はどんな人間にも良いところはあるはずだと、普段は優しいけどピアノになると厳しい父を見て学んでいた。だからどんなに辛くあたられても笑って楽観的なことを言っていたし、故郷や村の男に体を求められれば断らなかった。誰かが自分に暴言を吐くのは、自分がすっとろくて鈍くさいから仕方ない。自分が悪いんだ。皆を悪くさせているのは自分だ。でも大丈夫、頑張っていればきっと良いことはあるはずだ、なんて。そんな感じの思考回路をしている。

 

 彼女は憐れで、同時に愛おしい。

 善性の極致だ。前作ルフランではルカというキャラクターがそこを補っていたが、ルカは子供であり同時にドロニアを母として愛していたが故の優しさだ。実際マズルカになった彼女は言いたいことを言える性格へと成長していたし。

 けれどユリィカは違う。彼女は一生変わらない。今後も誰かの餌にされ続け、それでも笑いながら他人に対する優しさを失わないキャラクターである。

 そんな彼女だからこそ、感情移入してしまう。憐れなのだ。庇護欲が湧く。こんなにも良い子がこんなに不幸でいいはずがない。彼女がえへへと言う姿は本当に可愛いの一言に尽きるし、どこか遣る瀬無い気持ちを感じざるを得ないのである。

 「可哀そうは抜けないけど可愛い」。魔女シリーズにおける不憫の代表と言っていいほど、ユリィカと言うキャラクターは完成されている。

 

 彼女は作中で「願いを叶え続けることだけで他人と関係を築いてきた」と言っている。

 求めに応えることが、彼女にとってのコミュニケーションだった。

 だからこそ、彼女は自分に対して何も要求してこないナチルを最初は苦手に感じ、けれど彼女だけが他の者とは違う扱いをしてくれた最初の人だったと語っている。

 

 誰かにとっての都合の良い人形でしかなかったユリィカを、初めて人として扱ってくれた。

 自分で考えて自分の言葉で喋れと、まるで自分のことのように怒ってくれた。

 だからこそ、ユリィカはナチルというキャラクターを好きになり、友達になったのだと思う。

 

 

 

・ナチル

 今作第二のメインヒロインであり、同時に主人公である。

 彼女は母を愛していたが、しかし周囲によって愛を拗らせ、腐ってしまったただの少女だった。

 

 彼女には母親だけがおり、その母親は自他ともに認めるほどのブサイクだった。

 ナチルは健やかに元気に育っていたが、しかし幼少期の子供というのは残酷だ。学校の子供達は皆、ナチルの母親がブスなのをからかった。「コイツの母ちゃんすっげーブスなんだぜ!」「お前も将来はああなるんだ!」それを四六時中言われ続けた彼女は、当然の如く歪んでしまい、やがて学校に行かずに引きこもるようになった。

 

 彼女の人格形成の元は容姿による差別だ。

 母親が醜いというだけで嘲られ、そしてそれで揺らいでしまった自身の愛情をコンプレックスに持っている。

 からかわれることが、他人からの好奇の視線が嫌になったのだ。そこで「母親なんて関係ない」「容姿なんてどうだっていい」と言い切れるならばよかったのだが、彼女は子供だった。同時に母親もまた容姿のせいで苦労してきた人間であり、言葉で諭せるほど強者でもなかった。

 だからナチルは母の容姿でからかわれ続けることに嫌気がさし、同時に自分の母親がブスだからこんなにからかわれるのだと思ってしまい、母にも辛く当たってしまうようになる。憎しみにも似た感情だ。お前の容姿がまともであったなら、私は普通に生きていけたのに。お前がおどおどせずに胸を張って生きているなら、私だってそれを見倣えたのに。そんなことを考えるようになり、そして同時にそんなことを考えてしまう自分が嫌で、鬱屈とした日々を送るようになっていた。

 

 ただ、彼女は魔女の才能に恵まれていた。

 元々地頭が良かったのもあり、引きこもり自堕落ニートだった彼女は魔法の力でお金を稼ぎ始め、やがて魔女省へと入ることになる。

 

 そして魔女省からの任務(厳密には色々違うが)で、彼女はユリィカのいる世界へと飛ぶことになる。

 

 

 

・ナチルとユリィカ

 ナチルとユリィカは対比の関係であり、同時に似たもの同士だ。

 

 ナチルには才能があった。しかし環境のせいで人格が歪み、人が嫌いで太陽の下が嫌いで、ちょっと根暗で陰湿な子になった。

 ユリィカには才能がなかった。けれどどんな環境でどんなひどい目に遭っても彼女は健気に笑い続け、明るく元気で人に優しい子になった。

 彼女達は持つ者と持たざる者、陰と陽という対比を持ち、そして互いに誰かに嫌われる鬱屈とした幼少期を過ごしている。

 生きた時代も世界観も違うけれど、それでも二人は通いあうものを持っていた。

 

 ナチルから見たユリィカは、所詮は他の世界の住人であり、どんくさくて要領が悪く、可哀そうな目に遭い続けるだけの不器用な人間に見えただろう。

 けれどそんな彼女は、母親に似ていたのだ。

 容姿が悪く、そのせいでずっと疎まれ続け、それでもナチルを育てることに文句など言わず毎日一生懸命働き続ける母。

 自分には理解が出来ない生き方だ。なぜそんなにも他人に優しくいられる。なぜそんなにも他人を憎まずにいられる。疑問に思いながら、それでも母の愛に甘える形でナチルは引きこもりながら生活をしていた。

 ユリィカと母とは容姿は全く逆だが、しかしその生き方、貧しく苦しく不幸としか思えないのに、懸命に生き優しい性格に育った彼女達に、共通項を見出す。

 

 ナチルがユリィカに強く当たっていたのはそういうところだ。

 嫌なら嫌と言えよ。殴られたら殴り返せよ。

 ずっと母に言いたくて、でも言えなかったそれらの言葉を、彼女はユリィカに対して発するようになる。頭が弱い彼女達に対して、ナチルはずっとずっと、強くなってくれと言いたかったのだ

 自分と関わりがないと思っていた別世界のユリィカという少女を、ナチルは放っておけなくなっていた。

 

 彼女達が別れることになったシーンは、とても特徴的だろう。

 

 ユリィカのせいで、ユリィカのいた世界は滅茶苦茶になってしまった。

 彼女は真実しか話せなくなるガラヤのネジを他人に貸し出し、挙句にスキャンダルを探していた革命家をこっそり匿った。そのせいで王都で革命が起こり、沢山の人が死んだ。

 彼女は村の街道で吊るされていた罪人の助けを求める声を鵜呑みにし、そのせいで罪人は拘束を抜け村で残虐の限りを尽くした。

 

 ナチルは言う。どうしてお前はそうなんだ。

 ちょっと考えれば分かることだろ。あの記者が善良なわけがないだろ。村で吊るされていた罪人が善良なわけがないだろ。お前のせいで沢山の人が死んでしまってるんだぞ。

 もっと自分で考えて、自分の言葉でしゃべりなよ。

 バカなんだから余計なことはしないでよ。

 頼むから、もっと"マトモ"であってよ。

 

 ガラヤのネジのこともあったが、それでも彼女は心の底から、ユリィカを責めていた。

 それはナチルが母に抱く気持ちに近い。あんたがまともだったら。あんたがバカじゃなかったら。あんたがほんの少しだっていいから強い人間だったら、どれほど世界はいい方向に行っていたのか。

 

 そのどうしようもなさこそがユリィカというキャラクターの欠点であり魅力で、そのどうしようもなさに涙を流して声を荒げられるのがナチルというキャラクターの欠点であり魅力なんだと思う。

 彼女達はどうしようもないほど無力な子供で、だけどそれでも互いのことだけは思っていた。

 

 

 

・良点と悪点

 長々と書く気はないので、要点をまとめていく。

 まずストーリーでの悪点から。

 

 ガレリアは全体的に文が少ない。説明が足りていない。あまりにも。

 行間を読めってレベルでは効かないほどに文が足りていない。テキストの量を1.3~1.5倍にすれば絶対神作にまで昇華できた。そんな気がする。

 

 ガレリアはルフランと違って、ダンジョンに物語が存在しない。

 そしてルフランでは鍵を守るために存在していた各ダンジョンのボスがいたが、ガレリアではボスが全くいない。

 だからダンジョン攻略の厚みが足りない。

 

 また、ルフランではサブキャラクター達は深掘りがされ、メインキャラクターであるドロシー・イサラ・マズルカ・バーバヤーガについてはその過去をしっかり描き切った。

 対してガレリアはサブキャラクターは全員浅くしか掘られず、悪役がかなり中途半端。ツェツィは深掘りされてもあまり面白いとは言えないキャラクターであり、ゴズはかなり良い悪役だったが小物感が強すぎた。

 ストーリーの厚みが足りない。

 

 もっと丁寧にアルムーンでのナチルの周り、特にソサエティでの人間関係等を描写して良いと思った。アルステラにおける王妃や村人達ももう少し深掘りしたりとか。実は〇〇でした、じゃなくて関係性を強固にするべくもっと複数キャラの絡んだストーリーを描いてほしかった。コォラルサリィの描写とか入れるべきだし、スカーレットは立ち絵ぐらい用意してあげても良くない? 絶対そっちのが面白いよ。

 それこそ伯爵の登場の出番減らしてさ。彼はどうせ人形だったし、何も面白味の無いマクガフィンだったんだから。

 

 ガレリアはルフランに比べて、ダンジョン攻略とストーリー両面における密度の薄さと、悪役の不在という収まりの悪い話の流れ、そして新しい世界を作るにあたっての説明不足と、終盤の展開の説得力の無さ(マダムになったナチルが何も知らないナチルに託す展開あたりから話が薄くなった)が響いた。

 

 ルフランでは「オオガラスを倒したら問題解決」「マズルカが時間を遡り手を貸す」「ドロニアは助けられないけれど、ドロニアとイサラとルカは確かに幸せになれた」という話の流れだった。

 今作は「ツェツィも不可も倒したところで別に何もない」「というかアルムーンもアルステラも滅亡し、ナチルが何故か犠牲になって、夢みたいな世界でユリィカだけが生きる」「ユリィカがナチルを助け、夢の世界を潰し、双子世界をくっつけた新しい世界をどうやってか知らないけど作る」「ナチルは元々別世界の住人だから新しい世界には入れず、そして世界を作った重労働の反動で疲れて眠る」「ユリィカはナチルを探しに行く」といった形で、過程はすっぱ抜かれるわ収まりが悪いわで何とも不完全燃焼感があった。

 ユリィカとナチルが互いを思い合い、互いを助け合い、そして二人で一緒に世界についてあーだこーだ話し合う、という展望だけはあったけど、それを活かしきるための説得力と説明を放棄していたのが個人的にはかなり減点だった。

 

 ただまぁこれに関しては、ルフランが神作すぎる。

 これは比較の話。多分ガレリアを一作目として出されていたら普通に絶賛していたので、そう考えるとかなりの良作だとは思う。

 それにガレリアだけに気に入った要素だってある。

 

 ユリィカとナチル、この二人の関係性や、アルムーンとアルステラという二つの世界でのシナリオはとても良かった。

 何度か書いているがユリィカの「どうしようもない頭の弱さ」に対する愛しさと、ナチルの「どうしようもなさに対する涙と悲鳴」に対する共感。この二つこそが彼女達が魅力の理由であり、彼女達の良さだと思う。

 いうなればユリィカはお荷物ヒロインで、ナチルは劣等生ヒーローだ。弱者である二人に身に余るイベントが降りかかってくるけれど、頑張って何とかしていこうって感じの力強さを、僕はストーリーから感じていた。

 

 このヒロインとヒーローの役割は物語で何度か入れ替わるし、そもそも彼女達は二人共が少女で、そこに友達以上の関係性はない。

 だけど彼女達の仲の良さはルフランにおけるドロニアとイサラを超えるほどだと思う。

 情愛がないが故に、親愛が引き立つ。出来ることならばどこかの世界で女子高生として生まれ直し、二人でくだらなくも美しい青春の日々を歩んでほしいと思えるぐらいに、彼女達二人は美しい。

 

 また、世界作りと魅せ方も良い。

 中世ヨーロッパなアルステラ、1900年代と魔法を組み合わせたオシャレな雰囲気のアルムーン。貴族と平民の存在する古い価値観を持つ世界と、魔女という異分子を現代に調和させた新しい価値観の世界。第一部と第二部という構成に加え、ナチルとマダム・マルタを繋げるストーリー運び。これらは本当に面白かったし、大満足した。

 

 楽しかった。ここ数日は本当に、寝る間も惜しんで遊んでたよ。

 苦行があったから没頭出来たとは言い難いものの、間違いなく良作だった。

 ぜひ三作目を。ルフラン、ガレリアと来た次の世界の物語も楽しみにしているので、どうか作ってください。

 

最近youtubeに動画投稿を初めて、そこそこ伸びたという話

youtuberになりました

死ぬほど忙しい。リアルもやること山盛りなのに、動画編集なんていう時間ドカ喰いモンスターに手を出したもんだからさぁ大変。地獄が始まった

ここ三週間における一日の睡眠時間は毎日3*2の6時間だけである。久しぶりに生と死を行き来する生活をしている……なんで?

 

 

 

唐突に動画投稿を始めようと思った理由だとか、どんなタイプの動画を投稿しているかとか、読み物として纏めるにあたって必要な前書きは大量にあるだろうし実際描くべきだとも思う。だが知らん

時間がないがブログにメモを残したくなった。なので走り書き程度に、登録者が100を超え波に乗り出した新人である今、感じていることをそのまま書き記していく

もっと読み物として面白くなるかは未来の僕次第。頼んだぞ

 

 

 

・動画内容は大事

動画の内容は大別すれば二種類。ニーズに応えるか、ニーズを生み出すか。どういった動画なのか(ゲーム実況・商品紹介・音楽・メイクスポーツ格闘技・職業・事件歴史・解説等々ジャンルは無限にある)にもよるが、結局この二つの内どっちなのかを明確に意識する必要がある

ニーズを生むの(具体的には自分の好きなことをやったり、登録者を伸ばしたいという欲の介在しない動画コンセプトでの投稿)は難しい。そもそも目に留まらないと登録者が伸びないyoutubeにおいて、最初からオリジナルで戦うには地力が必要すぎる

ということでニーズに応える動画を作る。視聴者が何を求めているのか。どんな動画なら支持されるのか。どんな動画なら再生したくなる、高評価押したくなる、面白いと思う、笑ってくれる。視聴者のニーズにコミットした形で動画を作るととてもとても伸びやすい

この動画コンセプトの部分こそ、動画が成功か失敗かの8割を決めると思う

 

・サムネをシンプルかつ分かりやすく。マジで大事

サムネはマジで大事。視聴者が伸びる前も、伸びた後も。正直サムネ作るのは予想の10倍の時間がかかる

文字は詰め込まず、イラストも詰め込まない。サムネとタイトルで2~3のデカい情報を与えることに注力した方が良い

デザイン系の本は読んでおくべき。配色・フォント・構図は最低ラインを満たさないと土俵にすら上がれない

一番良いのは誰かの伸びてる動画のサムネをパクること。雰囲気似てれば大体よさげになる。後はそのよさげを何度も繰り返し、目を肥やし、自分である程度変化を加えていけばいい

 

・ずんだもんは大事。コイツに喋らせるだけでパワーある

流行というものがある

ゆっくり実況系の動画を僕は投稿したんだけど、今の流行はずんだもん。コレに尽きる

ずんだもんが大事なのではない。自分のコンテンツ以外の部分から引っ張れるパワーがあるなら、そのパワーを借りようという話。ゆっくり系ならずんだもんだ。のだのだ言っとけ。正直可愛いしね

生声で勝負するより、手間かけてでもずんだもんに喋らせた方が安定した強さを手に入れられる。まぁこの辺はブランディングにも関わるので一概には言えんが……

 

 

・編集が終わったらチェック。編集ミスは10個はあると思った方が良い

ここから地味な話。でもブランディングとモチベーションに関わる大事な話

編集はダルい。編集が終わるとすぐエンコードしたくなる。動画は大体出すのが早ければ早いほど良いというのもあるし、何より「終わった」から早く解放されたいのだ

でも実は終わってない。編集ミスはゴロゴロ出てくる。チェックはマジで大事。チェックを2~3回入れて初めて動画編集は終わるのだ

 

編集ミスのちょっとぐらい、どうでもいいとする人は多い。視聴者はそんなとこまで気にしない

でも、投稿者側は後で見返した時に凄くイライラする

投稿した動画はずっと残ってしまうため、丁寧ではない仕事をしたらそれが一生残り続けるのだ。潔癖症でなくたって自分の白い家に小さな泥ついてたら嫌な気分になるはず。つまり、自分というブランドが少しずつ汚れ、自分のモチベーションが少しずつ落ちていくということに繋がる

適当を続けると人間ダメになる。神経質になりすぎるのも良くないが、ミスのない動画を出していかないと動画の質が落ちていくと思う。誤字脱字なんてものはたまにあるぐらいが丁度いいんだ。行き過ぎるとマジで終わるぞ

とにかくチェックはしろ。編集が終わったと思ってから+1時間ぐらいは編集は終わってない

 

 

・速度は大事だが時間は敵ではない。真の敵は焦りと妥協。ゆっくりで良いから良いものを

速度は大事

どの界隈でどんな動画を出すかによって速度の大切さは変わるが、しかし早ければ早いほど競合との争いに有利であり、また自分としても作業の時間的な期限が前倒しになるため張り合いが生まれ、次の仕事に素早く取り掛かることが出来るようになる

 

だが、時間は味方だ

動画のネタをより練り込み、編集に力を入れ、しっかりとした構成を組み上げるためには時間が必須。時間は動画をよりよいものへと昇華してくれる

速さと引き換えに動画の質を落としてはいけない。youtubeは本当に、面白い動画であれば評価されるのだ。面白いの積み重ねが高みへの道なのだ。速さで面白さは買えないのだ

 

動画は投稿されてからずっと残り続け、それが良いものであれば必ずいつか爆発する

だから自分の完成予想図の、せめて9割は満たしてから動画は投稿すべき

 

速く出さなきゃと焦って動画を投稿してはいけない

もうこれで良いやと妥協して動画を投稿してはいけない

満足のいくだけのものを作った時、初めてそれが一本の動画になる

それを積み重ねていけば、自然と速さは付いてくる

 

 

 

 

とかなんとか言っといて、コレで伸び止まったらわろけるねぇ

登録者1000いったらまたしっかり記事書こうと思う

個人的には10000行くルートは見えた