メンヘラではないのかもしれないという吉報

 メンヘラという言葉を多用します。

 気分を害する方はここでバックを。

 

 

 

 

 

 メンヘラという言葉がある。

 

 日本固有の造語だ。メンタルヘルス、つまり精神的健康状態のことを指す言葉が語源とされるこのメンヘラは、ざっくり言えば「精神的に不安定でおよそ一般的ではない思考回路・行動原理を有する人間」のことである。

 ヘラるという言葉が広く認知されているように、今では一般的に使われる言葉となった。類語に病むが存在する。インターネット界隈にはこのメンヘラが多く生息しており、そこに刺さるボーカロイドの曲がヒットしたのが認知の広まった原因なのではないかと僕は思っている。後半クッソ適当なこと書いたわごめん。

 

 さて。

 僕は自論としてメンヘラと関わるとメンヘラに感化されると思っている。

 

 メンヘラは基本的に人に飢えている。恋愛だったり、家庭環境だったりで心が満たされていなかったり傷ついてしまっていたりする。本来はその渇きや傷は自分自身で癒し育み治していくのだが、メンヘラはそんなものを知らない。空いた穴を埋めるために他人に頼るしかなく、医療薬として即効性と依存性の高い愛を求める傾向にある。

 

 つまりメンヘラは、常に他人の犠牲を要求する。

 

 メンヘラと関わったことがある人ならわかると思うけど、メンヘラを相手にするのは非常に面倒だ。答えの出ない問いを他人にぶつけ続けたり、出口のないダブルススタンダートがデフォな要求をしてきたりする。そしてリストカット等の自傷行為に及び、度が過ぎるとその自傷行為を盾に恐喝してきたりする。

 メンヘラの原因は満たされない心だと書いたけど、極論メンヘラは愛を受けたことがない自分に対する自己愛が強くて、それが行動に出るのだと思っている。自身の穴を埋めるために、自身が受けたことのない愛を他人に要求するのだ。つまりその愛とやらは膨らみまくっている。受けたことがないので当たり前だ。知らないものを勝手に欲しがり、想像の中で長い間膨らませ続けるのだからデカいのは当たり前。メンヘラの愛が想いというのは、自分の中で信仰している「愛」というものを勝手に肥大化させてしまったから、自分が与える愛も相手から与えられる愛も一般的なものとはかけ離れた価値となってしまっている。

 

 そして、そんなメンヘラの愛の押し売りを受けると、こっちも価値観がバグる。

 

 メンヘラの抱える悩みに寄り添うと、メンヘラは懐く。

 しかしメンヘラは満たされない。当たり前だ。メンヘラの心は穴の開いたコップであり、しかも材質が愛ときた。それを直すには途方もない時間と労力が必要であり、でも愛を注げば一時的には満たされるので「自分の愛が足りてないのかもな」と錯覚してしまう。注ぐのではなく直す意識が当人にないと、メンヘラは直らない。壊れているのだ。ポンコツをまず人間に戻すところからスタートしなければいけない。

 メンヘラは精神的に不安定でか弱い生き物の顔をしているため、頑張って安心させようと努力する。しかしメンヘラは満たされない。際限のない愛が満ちる日は来ない。努力する側を放置してメンヘラは増長する。

 

 こんなに仲良くなったのに好きって言ってくれないんだ。好きって言ってくれるのに他の人と遊ぶんだ。なんで帰ってくるの遅いの私のことどうでもいいの。そんなに私のこと嫌いかな。ここまでは序章に過ぎない。私が他の人と遊んでも別に良いよね、だって貴方は私のこと好きで信じてくれてるでしょ。私のこと好きならこれぐらいやってくれてもいいよね。私のことを好きならアレもコレもソレも―――――。

 

 メンヘラには種類があるが、一つ言えるのはどいつもこいつも被害者の顔をしているだけの我儘であるということ。始まりは確かに自分の心を制御できない病める人だったのかもしれないが、いつしかメンヘラは「自分が大変なんだから他人の心を思いやる余裕なんてなくても当たり前」という思考を持つ。弱くて困っている弱者でいると助けてくれる人がいるということに気付く。弱者は楽だというルールに気付いてしまうのだ。

 

 常人はやがてパンクする。

 メンヘラの介護には限度がない。特に自覚がない初心者メンヘラと、自覚があってもメンヘラであることを逆手に取るような上級メンヘラは本当に手強い。無理だ。でもメンヘラを助けてあげる人は優しかったり、まぁ共依存だとか強迫性なんたらとか色々用語はあるが、一度関わってしまった以上どうにかしてやりたいと思いだしてしまう。情が湧くともいう。

 するとどうなるか。メンヘラが移るのだ。こっちが悪いのかな、こっちがダメなのかな。俺の気持ちは相手に伝わってないのかな。もっとやらないと駄目かな。自分の中で普通のラインがガンガン壊され、ガンガン上がっていく。そしてようやく体か心が悲鳴を上げた時、メンヘラはパンクした人に見切りをつけ次の愛を探しに行く。そして後に残るのは他人と関わる時のハードルだけが歪になった元常人、つまりメンヘラ初心者となる。

 

 メンヘラの直し方はただ一つ。成熟した精神を持つ他人と触れ合うことだ。

 終着点はそこにしかないと思う。自立した人間だけがメンヘラを直せる。長い孤独やショック療法もあるにはあると思うが、やはり人と触れ合うことでしかメンヘラは直せないと思うし、触れ合った人がメンヘラになってしまうような惰弱な精神を持っていてはミイラ取りがミイラになる。

 ダメなものはダメと。おかしいものはおかしいと。きっぱりとメンヘラの異常なラインに指摘をしつつ、それでも愛を伝え続けられる大人。そういうもはや運命と言っても良いほどの出会いを通さなければメンヘラは直らないと僕は思っている。

 

 

 

 さて。

 長々とメンヘラに対する自論を書き連ねたが、今回の本題はここから。

 もしかしたら自分がメンヘラではないのかもしれないという思考を始めていく。

 

 

 

 僕は自分のことを少しメンヘラだと思っていた。

 なんというか、カミングアウトするのはマジで恥だしリアルで誰にも打ち明けたことはないのだが、自覚としては高校三年生ぐらいからずっと抱えていた悩みだ。別にリスカもしない。愛がどうのとかも言わない。ただなんとなく、自分の心の中にメンヘラを飼っている感じで生きてきた。

 

 家庭環境は悪くなかったように思うし、愛もそれなりに受けてきた。なのにどうしてメンヘラなのだろうと思った時、それはやっぱりメンヘラの彼女がそれなりにいたからなのではないかと思ってしまう。

 メンヘラは一目でわかる。姿形じゃないんだよな。声というか、喋り方というか、雰囲気というか。ヤバそうな見た目をしているメンヘラはともかく、いかにも普通ですって感じの顔している女性の中に紛れているメンヘラによく当たる。当たるって言い方は失礼かもしれないがマジで当たる。

 で、僕はメンヘラが割と好きだった。ダメダメな彼女を世話してやるのは快感だったのだろう。こっぱずかしい台詞を平気で言うメンヘラに少し憧れがあったのもある。創作物に出てくるメンヘラという生き物が好きだったのあるかも。僕はメンヘラが嫌いではなかったのだ。

 

 気付いた時にはもう遅い。

 価値観というか倫理観がバグった生物が誕生してしまった気がする。まぁ二十歳もいいところの大人な僕が「僕がおかしいのは他人のせいです!」と被害者面する訳にもいかない。が、多分僕は歴代メンヘラにぶっ壊されたのだろうなという確かな実感がある。

 そして厄介なことに、僕はメンヘラほど表に出せないのだ。メンヘラはメルヘンも入っているので、自分の世界と認識に酔いまくる。恥ずかしい台詞も平気で言うし、漫画でしか見たことのないようなセリフや行動も平気でする。修羅場にするのも好きだ。悲劇のヒロインが好きなのかは知らないが、よく泣くし大声を出すし公道で地べたに座り込む。僕はそういった行為が一切出来ない。相手や他人の目を気にするし、良い歳した大人がそんな惨めったらしく浅ましい行為していい訳がないだろうとか思ってしまう。恥を捨てられないプライドの高い人間になってしまった。

 

 心の中の肥大化したこのメンヘラな僕をどうしたものか。

 去年頭からずっと抱えていたこの問題なのだが、つい先日、解決とはいかないまでもストンと一歩前進できた。

 

 内容はなんか書いてたらあほくさい駄文になったので省くが、要は「うじうじ考えるお前はバケモノにはならないよ」的なことを言われた。

 まぁそうなんだろうな。僕は外聞とか世間体とかを知ってしまったし、プライドが無駄に高いから泣き喚いたりすることも出来ないだろう。コレは性分で変わることはないと思っている。

 

 だから、僕は僕の嫌いなメンヘラにはなれない。

 この先どうなろうとそういう行為を取ることはない。言動の節々に出るかもしれないし、ツイッターに書く愚痴は無くならないかもしれないけれど。それでもまだマシな生き物であり続けられると、そう思ったのだ。

 

 うーん、省きすぎてよく分からんな。

 まぁなんにせよ、メンヘラメンヘラ言い続けてた時期はもう終わりかなって感じがする。このブログ書くのも久しぶりだし、うじうじ悩んであーだーこーだと思考をコネコネしていられるほど暇じゃなくなったのもある。院はもう追い込みというか佳境だ。論文発表も近い。夏休みもらったけどいっぱいやりたいことある。

 

 ということで、最近悩み少なくなってきたなって感じの記事でした。